2009年11月5日、バンコクに赴任しました。2011年9月1日、東京に戻りました。2013年10月1日、福岡に移住しました。
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その昔買った古本。

開くと・・・
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あれ? これって、東野先生直筆のサインではありませんか!

さらに・・・
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先ほど届いた古本。

開くと・・・
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これ、著者が誰かに贈った本じゃないですか!

古本を買って、著者のサインがあると、ちょっと嬉しいですね。

2冊目の本は、中をザッと見て気がついたのですが、著者の鳥巣蕗氏って、福岡女子大学の卒業生じゃないですかっ!? これには、超ビックリですよ・・・。
はい、超久しぶりの「福女暦」シリーズです。
今回の写真って、正直、どれくらい資料的な価値があるのか?良く分かんないんだけどね・・・もう惰性だな ^_^;)

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久邇宮殿下御差道の御使後閑菊野女史御着(大正十二年五月十五日福岡県立女子専門学校玄関にて)

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久邇宮殿下御差道の御使後閑菊野女史御着(大正十二年五月十五日福岡県立女子専門学校校長室にて)

両方ともタイトルが長い。ひらがながあるから日本語と分かるが、一見、どこで切るのか?良く分からない ^_^;)
良く見たら、後閑菊野というのが人名なんですね。で、ちょっと調べてみたら、えっ! 後閑菊野という人は、当時のお茶の水大の教授。昭和天皇の皇后の教育係を務めた人らしい。ありゃ、相当偉い方じゃないですか。間違いなく、日本の女性リーダーのはしりですよ。 ・・・創立直後の現福岡女子大に何しに来たんでしょうか?

久邇宮殿下というのは、当時は久邇宮朝融王ですか? であれば、大正12年当時、殿下は22歳だ。

大正15年発行の『要覧』によると、沿革のところの大正12年5月15日に「久邇宮殿下御使トシテ後閑菊野ヲ本校ヘ差遣セラル」とある。このエピソードの時の写真ということですね・・・。この「御使」はどういう目的だったんでしょうかね? 後閑菊野が当時の福岡女子大で教鞭をとったわけではなさそうです。

それから、こういった皇族行事の写真を絵葉書として売り出すという感覚が今となっては良く分かりませんよね。もしかしたら、この絵葉書は、売り出された物ではなくて、当時の福岡女子大学が作成して、関係者に配った物でしょうか? 

ここから先は良く分かりません。興味のある方、どなたか調べてください。

私としては、むしろ『要覧』のこのエピソードのすぐ後に、「五月十八日 生徒控所及便所各一棟落成」とあるのが気になりますね。現福岡女子大の第一回入学式は大正12年4月17日。ってことは、学校ができて最初の1ヶ月間は、女子大にはトイレが無かったのか!?
久しぶりの「福女暦」シリーズ。
正直、このシリーズ、もう忘れてたんですが、1枚アップしてない写真がパソコンの中にあることを思い出したので上げときます。
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これも県表記なので、年代は大正12年度もしくは13年度。よって、ここに写っている生徒は、福岡県立女子専門学校の一期生もしくは二期生です。でね、「要覧」によると、一期生は文科52名、家政科50名の計102名。二期生は文科49名、家政科46名の計95名。この写真には、95名以上写ってるから、一期生かもしれません。102名にはちょっと足りないようですが、欠席者がいるとして、この写真はもしかすると、(現)福岡女子大学一期生の全員集合写真の可能性がありますね。そう思うとちょっと貴重か?

ただ、体操自体は正直、何だかなぁ・・・って感じではあるよね・・・^_^;) 
服は、これが大正時代の「ブルマ」というやつでしょうか? 上半身も何だか袖が太くてぶかぶか。プルオーバーなのか、前ボタンなのか、白が飛んじゃってて分からないけど、今の感覚だとあまり運動向けの服ではないですよね。脚は何か黒いタイツのような物を穿いてますね・・・。興味があるのは靴ですね。白で統一されていますが、どんな靴だったんだろう?まだ当然オニツカは無いよな?当時、合成繊維素材の運動靴ってあったんだろうか?もしかして、白の紐革靴?

それから、まぁ見事なまでに全員同じ髪型です^_^;) この頃の体育の授業って、体操以外に何してたんだろう?球技とかあったんだろうか? グランドは広かったみたいだから、走ったりしてたのかな?

いずれにせよ、これらの方々は、日本において女子高等教育を受けたさきがけの世代の方々です。卒業後、この時代の「女性リーダー」になられた方も多くいたようです。

あ、それから体育館の建物の様子がかなり良く分かるので、建築に興味のある人には参考になるかもしれませんね。
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タイトルは『福岡県立女子専門学校(背景)』。
こちらと同様、県表記。
また、こちらと同様、建物の配置を理解するのにかなり時間がかかった。
上写真左の建物は本館ですよ。でね、右奥、切手の下に見えてるのが・・・

拡大しましょう↓
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ね?三角屋根の頂点が欠けた特徴的な屋根、つまり雨天体操場です。こちらの図面を見てください。校舎を裏から撮って、本館と雨天体操場が同時に写るって・・・どういうアングルで撮ったの???
分かってみれば答えは簡単。この写真、北側教室が丸ごと無いんです! この写真の後に、上写真の画面中央あたりに北側教室がど~んとできるんですよ。

って、ことはこの写真はいつ頃だ??? 『50年史』によると、北側教室の落成は大正13年(1924年)6月です。しかし、この写真では、まだ起工もしてないように見えます。北側教室は、これも『50年史』によると、木造二階建てスレート葺きの289坪5合(=約955m2)。この規模の建物を造るのに当時どれくらいの工期が必要だったのか?分からないけど、この絵葉書は、大正12年(1923年)4月17日に開校した福岡県立女子専門学校の最も初期の姿と思います。

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ってことは、この画面中央の女学生は間違いなく第1期生ですね。『要覧』によると、第1期生の年齢は入学時(大正12年(1923年))に17歳~23歳とのこと(結構幅があったんだね)。今もご健在であれば110~115歳くらいか・・・。

また、この写真の撮影者が立っている辺りが、正に“檍が原”ということになるんでしょうか。

なお、このエンタイアは、大正14年9月16日消印、博多局から当時日本領だった韓国に発信されています。
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これも珍しいんじゃないでしょうか。タイトルは『福岡県立女子専門学校(文科教室)』。こちらと同様、県表記です。よって、年代は大正12年度もしくは13年度。ってことは、ここに写っている生徒は、福岡県立女子専門学校の1期生もしくは2期生となります。何の授業をやってるんでしょうかね・・・?

真ん中を拡大してみます。
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左に立っている生徒は当てられたようです^_^)。先生は何やらプリント(?)を広げてますね。

なお、この絵葉書はエンタイアで、消印は昭和3年4月1日。消印の発信局は読み取れないのですが、宛先は当時日本領だった韓国です。
福岡日日新聞社寄贈シリーズ4。
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タイトルは『那珂川より見たる福岡県立女子専門学校(正面)』。
これは珍しいと思います。
あ、ここでいう“珍しい”とは、絵葉書としてレアということじゃなくて、“資料性が高い”という意味ね。
初めにこの写真を見た時はちょっと考えた。どういうアングルで撮ったんだろう??? 左の三角屋根の頂点が欠けた特徴的な屋根は雨天体操場です。右は本館。どういうアングルから撮ると、こんな写真になるんだろう・・・???
分かってしまえばなんてことはない。この写真、講堂が無いんです。こちらで紹介したこの絵葉書と比べると一目瞭然です。比べてみましょうか。
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ね?建物が1つ増えてるでしょ? 一番上で緑だった所に講堂ができたんです。『50年史』によると、講堂が落成したのが大正14年(1925年)11月ですから、この絵葉書はそれ以前の写真ということになります。

でね、この絵葉書は、“福岡日日新聞社寄贈”のスタンプのある他の絵葉書と違って、画面上に追加のスタンプがあるんです。
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わざわざ“開校当時”と追加のスタンプがあるんです。更にですね、他の福岡日日新聞社寄贈シリーズでは、『福岡県女子専門学校』表記なんですが、この1枚だけは『福岡県女子専門学校』表記。福岡県立女子専門学校と称していたのは、大正12年度と13年度の2年間だけです。この絵葉書は、福岡県立女子専門学校の最も初期の姿を捉えた1枚と言って間違いないでしょう。

それから、水際に何やら大きな石がいっぱい並んでますよね?左側を拡大してみましょう。
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何かの石材っぽいですよね。画面真ん中には白い石が等間隔で横一列に並んでいるようにも見えます。これについては、『50年史』に、“・・・那珂川河口の石材荷揚場、それも主として墓石、そんな暗い印象ばっかりの須崎裏であったが・・・”という第8回生の手記があります。ってことは、ここに並んでる石って、墓石用の石材か!?女子大のすぐ裏は墓石かぁ・・・

また、ちょっと気になるのはですね・・・画面中央やや右の正門を拡大すると・・・
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右の門柱の上に丸があるのは同じなんですが、門柱しかないんです。肝心の門と両側に続くフェンスがまだできてない。この辺この辺と比較してみてください。

開校時の校舎は、『70年史』によると“内務省土木局から移譲された土木監督署の古い建物”だったそうだ。今でいう、国交省の地方整備局のようなものだろうか。上写真の門は、新たに建設途上の門なのだろうか? それとも土木監督署時代の門をリニューアルしている途中なのだろうか? いずれにしても正門が無い状態で開校したのかね・・・?

福岡日日新聞社寄贈シリーズ3。
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タイトルは『福岡県女子専門学校 講堂』。
こちらの講堂と比べると、より広い範囲が写っているので資料性が高いですね。

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グランドピアノの他に壁際にアップライトピアノもあったんですね。これらのピアノはどこ行ったんだろうね?

これも、年代は福岡日日新聞社寄贈シリーズと同様、大正14年(1925年)~昭和7年(1932年)の間、となります。
福岡日日新聞社寄贈シリーズ2。
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タイトルは『福岡県女子専門学校 遠望』。
この写真も例によって、右側に福岡県女子専門学校以外の建物が入っています。

女専だけにすると、こんな感じ。
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左から雨天体操場、講堂、本館が分かります。

画面中央やや左の正門を拡大してみましょう。
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画質的に限界を超えてますが、ホラね!門柱の右だけに上に丸があるよね。コレ、何だろう?郵便ポストもすでにありそうですね。→こちらも参照

なお、年代は福岡日日新聞社寄贈シリーズ1と同様、大正14年(1925年)~昭和7年(1932年)の間、となります。
福岡日日新聞社寄贈シリーズ1。
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タイトルは『福岡県女子専門学校 全景』。
左奥の黒い横長が寄宿舎、中央左の(一部がカットされた特徴的な)三角屋根が雨天体操場、中央右の三角屋根が講堂、右の黒い横長が本館。講堂と本館の間奥に白く見えている屋根が北側教室。手前に広大なグランドが広がります。

年代なんですが、『50年史』によると講堂が落成したのが大正14年(1925年)11月ですから、それ以降ということになります。また宛名面の体裁から昭和7年(1932年)以前ということも分かります。よって、この写真は大正14年(1925年)~昭和7年(1932年)の間ということになります。知っている人が見たら、もう少し年代を絞り込めるかもしれません。

この絵葉書、宛名面の下にこんなスタンプがあるんです↓
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福岡日日新聞というのは、今の西日本新聞の前身のようです。“寄贈”??? どこに寄贈したんだろうか? 新聞社が女専に寄贈したのだろうか? 他に情報がなく分からない。

ちなみに、手前に広がる広場、福岡県立図書館の古い地図(←クリックで図書館の地図サイトへ)を見ると、大正5年(1916)までは、どうも刑務所だったようです。女子大のすぐ前は刑務所跡か・・・
こちらの絵葉書4枚セットの4枚目。
タイトルは『福岡県女子専門学校』とあるのみ。
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左は当時の校長、右は当時の福岡県知事。
この絵葉書をもらって嬉しい人はそういないと思うけど^_^;)、県立学校のオフィシャル絵葉書を作るにあたっては、ハズせなかったということでしょうか。

#当時、県知事は“閣下”と呼ばれてたんですね・・・