2009年11月5日、バンコクに赴任しました。2011年9月1日、東京に戻りました。2013年10月1日、福岡に移住しました。
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「戦場にかける橋」の最後は、第2次大戦博物館で見られた日本軍の鉄砲を紹介しておきます。

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十四年式拳銃(後期型)
日本製の拳銃です。日本軍の正式拳銃でした。
この2丁は見た目、状態はそこそこ良さそうです。もしかしたら、そのまま撃てるかもしれません。前期型がもう2丁あったのですが、展示場所が悪く写真に撮れず。

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九四式拳銃
これも日本軍の正式拳銃、日本製。
上の個体は赤さびや部品の欠落が見られますが、下の個体は非常に状態が良さそうです。これもそのまま撃てるかも?驚いたのは、下の個体のフレームにエングレーブ(装飾彫刻)が入っていること。一体、どこでいつ入れられたんでしょうか??? 右に見える実包は、第二次大戦当時のものかもしれませんが、大きさからいって九四式拳銃のものではありません。

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モ式大型拳銃。
オリジナルは、ドイツのMauser社の製造。日本軍の準正式拳銃。英語ではbroom handle mauser。右はBolo Mauserと呼ばれる短銃身タイプ。

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モ式大型拳銃、木製ホルスター兼用銃床付き。
この博物館には10丁以上のブルームハンドルマウザーがあるのです。しかもホルスターを兼ねた木製銃床付きもの物も多い。これは米国でもかなりレアでしょう。

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極めつけはコレ。中央左。これはルガーP08の8インチ銃身、それに木製銃床が付いているのです!!!これは米国で買うと軽く万(もちろんドルです)が付きますよね? いずれも状態は良さそうなので、ちゃんと整備すればひと財産です。

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ブローニングの.380 ACP。これは将校クラスが個人で持っていた物でしょう。現代の日本では峰不二子が使っています。

他の展示品にがらくたが多いのに対して、拳銃は比較的状態が良いようです。ただし、付けられた解説はいい加減。しかも、写真を見ると分かるのですが、各鉄砲は雑巾のような汚れた布の上に置かれています。クモが巣を張っている物までありました。整備し直して、キレイに展示し、きちんとした解説を付けると、比較的まとまった展示になるのですが。オレに展示企画やらせてもらえないかなぁ・・・。
それから、ブルームハンドルマウザーがこれだけまとまってあるというのも貴重と思います。ザッと見ただけでも刻印や細部に多くのバリエーションがあるのが確認できました。ただ、これらのマウザーが全て日本軍の物かどうか?は少々疑問なのですが・・・。

カンチャナブリや「戦場にかける橋」近辺には、いくつかの戦争博物館と称する物があります。1つだけ覗いてみました。入ったのは『World War II Museum』(第2次世界大戦博物館)。場所は戦場にかける橋のすぐ脇です。田舎の博物館なので、あまり期待はしていなかったのですが・・・・・・がらくた倉庫と言ったら言い過ぎか?

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入口には、当時の蒸気機関車が。展示というより放置という状態。全く手入れがされていません。他には、日本軍の使っていた(?)バイクや軍装品が結構な量ありました。ただ、いずれも状態が悪い。極めて悪い。状態が良ければ、非常に貴重な資料になると思うのですが、がっかりです。よって、写真もあまり撮りませんでした。で、しばらく見ていくと、かな~りギモンを感じてくるモノが多いのです。これって、ホントに軍が使ってたものかなぁ・・・?とか、コレって新しいんじゃないの?とか。

例えばコレ↓
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これ、ウィリスでしょ??? ウィリスってのは、米軍のいわゆるジープ。米軍のジープに日本兵のマネキンが乗って、フロントガラスの下には英国の国旗。訳が分かりません-_-;) 見ての通り、状態は悪い。しかも全く手入れしないらしく埃だらけ。

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???なギモンを確信に変えてくれたのがコレ。ポラロイドのカメラです。これが戦時中の物であろうはずがありません。調べてみたらポラロイドの420というのは、1970年頃の製造のようです。もはや第2次大戦とは何の関係もありません。

さらにコレに至っては・・・↓
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あのなぁ・・・全く・・・-_-;)

思うにここは、設立にあたって、この地に残っていた軍装品や“古いもの”を手当たり次第に集めたんだと思います。で、この博物館をプロディユースした人は、軍や軍装品の知識があまりなかったんでしょう。私の専門である銃器類を見ればそれが良く分かります(これについては次回)。

端っこにはなぜかゾウの頭骨が。10年前の私なら間違いなく歯を引っこ抜いて、遺伝子をとってたところです。
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あ、ここは探偵ナイトスクープで言うところの「パラダイス」に該当するんじゃないか!?
前回の記事はこちら

さて、ここまで来たんですから、泰緬鉄道に乗って、鉄道で戦場にかける橋を渡りましょう。
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カンチャナブリ駅にて。20分遅れくらいで列車がやってきます。

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一番良いクラスの指定席なんですが、座席はこの通り完全木製。長く座っているとお尻が痛くなります。今回は2時間かけて、Tham Krasea駅まで行きました。ここまで来るとあと20Kmくらいでミャンマー国境です。

しっかし、こんな田舎までよく70年前の日本人がやってきて鉄道を造ったよなぁ・・・途中には険しい岩山も多くあるのです。これは東南アジアや大洋州の戦争遺跡を見るといつも感じるのですが、70年前に海外旅行に行く人なんてほとんどいなかったはずです。しかしその時代に、日本の軍隊はアジア太平洋のいたるところに進出して莫大な労力を使っています。当時の日本国をそこまで駆り立てた戦争とは一体何だったのでしょうか? 文字として分かっても実感として全く理解できない。将来、日本国が戦争をすることは絶対に無いのでしょうか?

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Tham Krasea駅付近の険しい場所。これって、岩肌を削りながら、線路をひいたんだと思います。ちなみに写真右側は数十m落ちて、クワイ川に至ります。よくもこんな場所に鉄道造ったよなぁ・・・。当時の技術ですから、そりゃ多くの人が建設事故で死んだでしょうよ・・・。当時と今とでは、「人ひとりの命の価値」が全然違ったようですが、やはりにわかには信じられない日本人の過去の所作です。う~ん・・・。


昨年末、カンチャナブリへ行った時の写真。カンチャナブリって、ほとんどの人が知らない地名だと思いますが、『戦場にかける橋』というと、多くの人が知っているのでは?『戦場にかける橋』(The Bridge on The River Kwai)とはデヴィッド・リーン監督、1957年のイギリス映画、アカデミー賞受賞。主題歌である『クワイ川マーチ』のメロディーはおそらく誰もが聞いたことがあるでしょう(絶対あるって!→エ・な ^_^;)。タイのカンチャナブリにあるクワイ川鉄橋こそが、この映画の舞台になった「戦場にかける橋」なのです。

で、この「戦場にかける橋」、日本軍が造ったって知ってました?1942年から1943年にかけて、日本軍はタイの首都バンコクとミャンマーの首都ヤンゴンを結ぶ鉄道―当時は泰緬鉄道と呼ばれた―を建設します。この「戦場にかける橋」はその一部。軍主導による相当過酷な突貫工事のため、莫大な数の死者を出したようです。そのため、英語圏ではDeath Railway等と呼ばれることもあるそうな。また、橋が爆撃を受けた際は、連合軍の捕虜を橋の上に並ばせ、“人の盾”にしたものの爆弾は投下され、捕虜の多くが犠牲になったとか・・・。こういった歴史って、知らない人が多いんじゃないでしょうか?特に学校では習わないしね。

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橋の南側(バンコク側)はきれいに整備され、観光客でにぎわいます。鉄道用の橋ですが、電車が通るのは1日数回。観光客が自由に橋の上を歩いています。

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下から見ると結構迫力があります。で、気が付くでしょ?橋の上のアーチ部分。手前は四角ですが、画面奥は丸型です。1本の橋なのに、なぜでしょう?

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真横から見ると、さらに良く分かります。四角部分と丸部分では、橋げたの間隔まで違うんです。四角部分は橋げたの間隔が丸部分のちょうど倍になってるんだと思います。これはですね、丸部分が日本軍が造ったオリジナル、四角部分は爆撃で破壊され、戦後修復された所なんです。

今から70年前に、タイのこんな田舎まで日本人が大挙してやって来て、大土木工事をしていた。しかも戦争のため。こういった自国の歴史は、いろんな意味で知っておくべきだと思うんですよね。

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現在では、実用的な鉄道としての役目はほぼ終え、観光用の列車が走ります。映画のおかげで世界中から観光客がやって来ます。映画の影響と思いますが、欧米人が多かったですね。